ライフハック工房

皆さんに考えるきっかけを提供します。

信者にもアンチにもなってはいけない理由【信者とファンの違いも解説】

f:id:amamituu:20201103003706j:image

皆さんは、好きなアイドル、芸能人、応援したいアーティストはいますか?気に入っている映画、ドラマ、アニメ等の作品はありますか?

 

逆に、ちょっと苦手だなと思う、人やコンテンツも存在すると思います。好みがあることは、何も問題がない、至って普通なことだと思うのですが、そんな中でも両極端に位置する2つのポジションを取る人たちがいます。それが、信者とアンチです。

 

今回は信者とアンチについて、どういう人なのか、なぜなってはいけないのかを詳しく解説して行きます。

↓目次

<信者とファンの違い>

f:id:amamituu:20201103003724j:image

信者とアンチの前に、ファンと信者の線引きをしておきましょう。

信者とファンって両方、対象の人、モノが大好き!という点では共通していますが、どこが違うのでしょうか。

 

もともと、信者という言葉は、宗教から来ていて、何かを盲目的に信仰する人という批判的な意味で、最近では、宗教とは関係のないものにも使われますね。

 

一方でファンは、『熱狂的な』の意味のfanaticの略で、特定の人物や事象に対する支持者や愛好家のことです。(Wikipediaより)

 

ここでポイントになってくるのは、全肯定かどうかというところでしょうか。

対象の人物や事象に非があった場合にその差は出てきます。ファンであれば、ダメな事はしっかりと意見が言えると思います。また、ときにはその人や物のファンをやめるということもあります。

 

これに対して信者は、でも〇〇が絶対だ!と意見を曲げることなく盲信します。本人が自分のことを信者と思っているかは別として、考えを共にする信者同士での結束感は高まりますし、多数派になっていくケースもあるでしょう。そういう点でのメリットがないわけではないかもしれません。

 

対象とされる側の人や物からしてみれば、応援してくれる、ファンは増えて欲しいけれど、信者を増やしたい!と思って活動しているという人はおそらくいないと思います。

 

ファンクラブはあっても信者サイトとかを公式で作ったりはしませんよね。(笑)

 

また、やや例外のパターンとしては、ファンの人がネタや、自虐的な意味合いで信者という言葉を使うことはたまにありますね。

 

<アンチについて>

f:id:amamituu:20201103003841j:image

アンチ、アンタイ、アンティ (anti-) - 「反対」「対抗」「違背」を表す接頭語。 特定の個人・団体・企業・製品などを嫌う者、反発する者を指す和製英語Wikipedia

 

よく〇〇アンチって言葉聞きますよね。特定のものを嫌うのは、ダメなことじゃない?と思う人もいるかと思いますが、私は、①理由が明確で筋が通っている ②相手に不利益を与えないのであれば、嫌うのもアリだと思います。

 

そもそも人の好みが多種多様であるのは、大前提であり、たくさんの人に支持されている人、コンテンツであっても悪い評価、良くない印象をもつ人がいるのは当然です。

 

このことは、例えばYouTubeの評価欄に顕著に現れています。高評価率という指標はありますが、多く再生されている動画には低評価がないなんてことはありえません。

 

ちょっと話はそれますが、インフルエンサーの方が何かに対する批判を発信すると、

 

「〇〇アンチなんですか?w」

 

のようなコメントをしている人を時折見かけますが、批判とアンチを混同してはいけないと思います。

 

法律に触れる、倫理的に反するなどのものは然るべき批判を受けるべきですし、

信者とファンの線引きのように、批判者とアンチの線引きは非常に重要です。

 

(例外的に、インフルエンサーの批判は、強い影響力を持つので、相手に不利益を与える可能性も十分あります。)

 

また、アンチ活動は一種の執着とも言えると思います。他の人から冷静に見たら、

 

『嫌いなら、関わらなければ良くない?』というのが至極真っ当な意見ですが、

それでもアンチの人たちは活動を続けます。

 

単に嫌がらせがしたいだけなのかもしれませんし、ストーカーのように、何かをきっかけにファンからアンチになってしまったのかもしれません。また、対象の人をや物を悪く言うことで、それに賛同してくれる人からの支持が欲しいのかもしれませんね。悪く言うことで自分を持ち上げて無意識に自己肯定感を高めているとも捉えられます。

 

考えられる心理状態は様々ですが、受け取る側の視点で見れば、批判が有益になることはあっても、アンチコメントをもらって嬉しいということはないでしょう。

 

アンチの存在がなくなることは、どのコンテンツにおいても、ある程度の知名度があれば絶対にないので、受け取る側は、感情的に反論をしない、私たちは、批判は良いが、アンチ活動はしないという姿勢ということが大切だと思います。

 

<なぜ信者やアンチになってはいけないのか>

f:id:amamituu:20201103004117p:image

ここでようやく記事のタイトルについて掘り下げていきます。(長くてすみません)

 

信者にもアンチにもなってはいけないということで、信者は対象のことを全肯定しているし、誰かに迷惑をかけなければ、なるのもその人の自由じゃない?という意見もあると思います。

 

信者になりたい!と思ってなるものでもないので、結果として信者になっていた(冷静になったとき信者になっていたと気づいた)というケースを想定しますが、いずれにせよ私は、アンチだけではなく信者という状態も両方危険である、と思います。

 

 

まず第一の問題点は、思考停止していることです。冷静に物事を判断できなくなっているんですよね。

 

情報商材そのものの効果はさておき、高額な情報商材を買ってから、周りの人からの言葉で信者だったことに気づいた、なんてこともよくあるように、信者やアンチという状態の人は、大抵、客観的な判断ができていません。

 

適切な判断ができるけれど、対象の人や物が好きだ、嫌いだ、という人はおそらく前述したファンや批判者に該当します。

 

また、第二の問題点として踏み込んだ話ができません。盲信的に何かを信じたり嫌ったりしているという段階で、当然ではありますが、まともに会話ができない、、、なんてことになるかもしれません。

 

言い方は少し良くないですが、少し頭の悪い、考えが浅い人に、数字の絡んだ話をすると、

『私、文系だから!』

みたいに言って、話を一蹴するタイプの人と話している感覚ですね。

 

信者やアンチは強い意見を持っているので、差別や偏見が生まれやすいというのも着目すべき点かもしれません。

 

いずれにせよ、いろんな人や物に触れるときに強い固定観念を持っているのは、新しいことへの機会損失にもなりかねないので、できるだけフラットな視点で物事を見ていきたいですよね。

 

<大切な人が信者やアンチだったら>

f:id:amamituu:20201103003854j:image

最後に、自分の道がにいる大切な人が何かの信者やアンチだった場合について考えてみましょう。

 

基本的に人の考え方を変えるということはできません。私たちにできるのは考え方を変えるきっかけ、環境を作ることまでです。

 

信者やアンチになった人でそれを続けている場合、それが自分にとって一番都合が良いからそうしているわけですよね。スマホをだらだら見てしまうのも、本能的にそれがドーパミンとかの脳内物質が出て、短期間であっても気持ちがいいからですよね。(無意識であっても)

 

例えば、信者というポジションを取る人であれば、対象のものが自分の生きる理由になっているとか、アンチになることで相手より上だという優越感を持てるみたいに、何かしらそのポジションのメリットを享受しているわけです。

 

つまり、私たちから見ておかしいと思っても、本人たちの頭の中では、それが一番合理的なのでやめる理由がありません。

 

こういう人たちとの付き合い方は非常に難しいですが、相手をいろんな点で承認してあげるとか、自分も対象のものに興味を持ってみるとか、それが難しいなら、別の共通の話題を作ってみるとかが考えられますね。縁を切るというのは、安易な解決策であり、長期的にみれば相手も自分も後悔することになるかもしれません。

 

そして、例外的なパターンとして、信者やアンチというのが習慣的な思考になっていることに気づき、やめたいけど、やめられない、という状態の人に限り、私の書いた記事のような内容や、考え方に関する本などの情報を提供しましょう。頭ごなしに否定していては、関係が悪化するだけです。

 

<最後に>

信者、アンチという立場について解説してみましたが、いかがだったでしょうか。この2単語にここまで考察している記事はあまりない気がするので、よければ感想とか聞かせていただけると嬉しいです。